縁あってここ数年、ずいぶんたくさんの歌手と会ってきた。中にはビッグスターもいたけれど、その多くはいわゆるインディーズと呼ばれる、自主制作演歌歌手だった。
20代もいれば、70代もいた。子どものころに民謡大会やカラオケ大会で優勝してスカウトされ・・・といったエリートコースのひともいたけれど、ほとんどはずっと歌が好きで、でも歌で身を立てるなんて考えることもなく就職したり、結婚したり。それがあるとき、ある瞬間に、いきなり歌手を目指したりする、そういう無謀な人生の転換点に飛び込んでしまったひとたちだった。まるである日突然、歌の神様が降りてきてしまったかのように。
だれもが氷川きよしになれるわけじゃない。だれもが秋元順子みたいに奇跡的に発見」されるわけじゃない。いいオトナだから、そんなことはわかってるけれど、それでも歌の世界に飛び込んでしまう、そこにはいったいどんなチカラが働いているのか、それが知りたくて、取材を続けるしかなかった。
そんな中で出会ったまつざき幸介さんは、大学に通いながらスナックでバイトするうちに演歌の世界に親しんだものの、卒業後は歌手という選択肢を思いつくまでもなく、父の建築設計事務所に入社。10年間以上、仕事に没頭する生活を送ったあと、35歳になって偶然、家の近所にできたカラオケ・ボックスに遊びに行ったのがきっかけで、歌を社長に気に入られ、その社長が歌の先生を紹介してくれて、地元のカラオケ大会で賞を取るようになり、全国チャンピオンにまでなって・・・そうして42歳でプロ歌手としてデビューを飾ることになった。本人はそんな「人生いろいろ」を淡々と語ってくれたけれど、それはそうとうな冒険、そうとう高いところからの飛び込みだったはずだ。
演歌ファンの高齢化が進むに従って、昔ながらの不倫だとか、報われない愛だとか、こんがらがった情念の世界を歌うのは難しくなって、どうしても「これまでいろいろあったけど、あなたとあたしは死ぬまでずっと一緒」みたいな、人生応援歌が主流になってくる。そういうなかで、正統的な歌謡曲と演歌の境界線に位置するまつざ
きさんの歌は、すごく難しい位置にあるとも思う。
でも、まつざきさんはそういう、微妙なバランスの上にいるのが好きなのかもしれない。あるときは艶かしいオトナの世界のように、あるときは酸いも甘いも噛みつくした境地の夫婦のように。それはそのまま、あるときは危険な遊び人のようで、あるときは年上に可愛がられる体育会系男子みたいな、まつざきさんのキャラそのままな
のかもしれない!
(文・都築響一(編集者)2014年11月)